<取材対象者>
東出卓朗 (ひがしで たくお)
ニッセイアセットマネジメント株式会社
運用戦略部ファイナンシャルテクノロジー運用室
シニア・ポートフォリオ・マネージャー
2010年4月 メガバンク入行後、市場部門にて為替のインターバンクディーラー (アルゴリズム取引・通貨オプション・直物為替) 及びデスククオンツとして勤務。2015年よりクオンツファンドマネージャーとして銀行傘下の資産運用会社に勤務した後、2018年より現職。一橋大学大学院国際企業戦略研究科卒、米カリフォルニア大学留学等。一橋大学で師事した藤田岳彦教授のもと、現在は中央大学大学院理工学研究科 確率解析・金融工学・保険数理研究室に所属し、確率解析を中心に研究に取り組む。研究分野は確率解析、人工知能・機械学習の応用。これまで得た経験を活かし、シニア・ポートフォリオ・マネージャーとしてだけではなく、外部講師やビジネスアドバイザーとしても活躍している。
勉強の面白さにのめり込んだ大学時代
— 今日はよろしくお願いします。就職活動中の学生に東出さんの人生観を届けられたらと思っています。
よろしくお願いします。
— ご実家は神戸なんですね。子どもの頃に夢中だったものや学生時代に力を入れていたものを教えていただけますか。
父が将棋好きで、3歳から対局相手として鍛えられました。道場にも通い、一時は本気でプロを目指していました。でも、トップはとれないと諦めたんです。トップクラスでなければ食べていけない厳しい世界で、自分の周りにものすごく強い人がいたので、生き残れないと判断しました。中学生の時です。
— きっぱりやめたんですね。代わりになにをされたんでしょう?
高校に入ってからは勉強もせずに、特に何もしていませんでした(笑)。親に大学は出ろと言われ、大学は出ておこうかな、といった感じでしたね。1~2か月くらいは受験のために勉強しましたが、何か意味あるのかなと思いましたね(笑)。大学にも拘りがなく、東京に上京した理由は、一人暮らしをしたかったから、という単純なものでした。卒業したら実家の会社を継ぐのかな、とぼんやりと思っていました。
— 大学生活はいかがでしたか?
高校までの自分からは想像できないほど勉強にのめり込みました。両親からは人が変わったとまで言われました(笑)。試験問題を解くテクニックを覚えたりすることが多い高校の授業と違い、自分で考えることの楽しさを感じ、アルバイトもサークル活動もせずに本を読みふけったり、ひたすら勉強していましたね。おそらく、人生で初めて勉強というものを知ったので、今までやっていなかった分面白く感じたんだと思います。とくに確率・統計の世界が面白くて、この道をもっと深く知りたいという探究心が募り、卒業後は学生時代の一部を過ごしたカリフォルニア大学の大学院で研究を続けようとしていました。西海岸の気候が気に入ったというのも理由の一つでした(笑)。ところが父が癌であることが発覚し、帰国。研究を断念して就職することにしました。その後、父は僕が社会人2年目の新緑の季節に亡くなりました。
やるからには全力で取り組む
— 社会人キャリアのスタートは、メガバンクですね。どんな仕事をされたんですか。
最初の1年は営業店での研修と座学研修が中心でした。営業店ではロビーで「いらっしゃいませ!」と笑顔で挨拶していたのですが(挨拶していたつもりだったのかもしれません)、わずか2~3日で当時の部店長から「ロビーはそろそろ終わりにしようか」と宣告を受けました(笑)2年目からは、希望していた市場部門に配属となり、銀行の自己勘定の資産運用に従事しました。為替のインターバンクディーラーとして働いており、主にアルゴリズム取引、通貨オプション、直物為替取引を担当していました。当時は経験から得た勘に基づく取引が主流でしたが、僕はクオンツ*としてマーケットに対峙していました。そのうち、銀行内でもアルゴリズム取引の機運が高まり、私の主業務はそれまで担当していた通貨オプション・直物為替取引から、アルゴリズム取引へと移っていきました。アルゴリズム取引なども含めて、投資の分野ではAIの導入が進んでおり、従来よりも幅広い知識が必要になってきています。また、金融商品がどんどん複雑化、拡大化しているのに伴い、直感や感情ではなく、数学や物理学、高度なプログラミング知識が、市場動向や企業業績の分析・予測、投資戦略や金融商品の開発・考案に用いられています。しかし、独学では限界があり体系的に学ぶことが難しいと感じたこと、同時に、最先端をいくアカデミアはどういうことを言っているのだろうという関心が高まったことから、社会人5年目前後の段階で、大学院で学びたいと思うようになりました。
*「Quantitative(数量的、定量的)」から派生した用語。NASAのロケット工学を専攻した科学者がウォール街の大手証券会社や金融会社で量子力学などの手法を導入したことが起源。
— それで一橋大学大学院に通うことに。
はい。当初、銀行をやめて米国の大学院に進学しようとしていました(3校受験して2校合格していました)。当時銀行での勤務時間が夜勤中心であったこともあり、大学院に通うのには難しい状態であったことも銀行を辞めようかと考える一つのきっかけになっていました。実際、TOEFLやGREなどの試験を受けるのも大変でした。というのも、昼夜逆転生活が続いていた中で、試験時間は普段寝ている時間帯でしたので頭がボーっとするんです(笑)。希望していた大学の要求するスコアが高かったこともあり、目標となる点数に到達するまで数回受験しました。一回当たりの受験料が高かったことも印象深く残っています(笑)。一方で、長男として、出来る限り母親の側にいてあげたいという気持ちもありました。心境も含めて、合格通知書片手に、状況を上司に頻繁に相談していましたね。そのような中で、銀行が相場の見方を広げる一環として銀行傘下の資産運用会社への出向の機会を与えて下さったこともあり、考えた末、仕事しながら国内の大学院で学ぶ道を選択しました。幸いなことに、素晴らしい教授陣に恵まれ、学生時代より一層のめり込んで勉強しました。7時から18時はクオンツファンドマネージャーとして仕事に努め、18時以降はほぼ毎日大学院の図書館などで朝の4時頃まで勉強し、仮眠をとって仕事に行くという毎日。やるからには全力で取り組む、という気持ちで臨みました。体力だけが取り柄だったので、なんとかこのような生活を送ることができました(笑)。
— そして現在も研究を続けられておられるんですね。論文も執筆されている。一方で仕事のほうでは最近ご転職されたとのことですが、今の会社を選択した主な理由をお聞かせ頂けますか?
はい。今回が初めての転職でしたので、色々な可能性を検討しました。特にヘッジファンドは魅力的な会社の一つで、転職先の有力候補として考えていました。そのような中で、ヘッジファンドとは少し風土が異なる本邦資産運用会社の一つであるニッセイアセットマネジメントに決めた理由は、一緒に仕事をしたいと思ったCIO、部長、専門部長がおられたからです。人柄・能力ともに大変素晴らしく優秀でおられます。そのような方々と一緒に、現在も引き続きクオンツファンドマネージャーとして資産運用に従事しています。
何故、この世に生を受けたのかを考え、哲学を意識するように。
— 存分に力を発揮できる新しい環境を見つけられたのですね。そうした中、人生という大きなテーマではどのような目標を掲げていますか。
抽象的ではありますが、自分の哲学を模索し続けること、でしょうか。これは何かというと、高校までの世界とは異なり、大学からは、世の中に正解は一つだけではない。だからこそ、自分の哲学について模索し続けることが肝要であるということに繋がります。これは正解がないから自分の好き勝手をしてよいという意味ではありません。「守・破・離」という言葉が武道にあります。まず先人の教えを守り、次に独創性によって型を破り、自分自身の哲学を形成していくという意味です。実は、これには父の影響が大きいんです。父はとても厳格で、生前は反発を覚えることも多かったのですが、どこかで父の話には耳を傾けたいと感じる自分がいました。そんな父が私に遺したのは第一に母親を守ってほしいということの他に、次のようなことでした。「なんのために生まれてきたのかを考えなさい。自分が世の中に貢献できること、本気でやらなければならないことに、一心不乱に、一生懸命に向き合いなさい」という言葉。それを言い遺した翌日に息を引き取りました。
— 考え方や行動にどのような変化をもたらしましたか?
父はもういない、自分がしっかりしないと、という気持ちが大きかったように思います。社会に出ると、意思決定を下す場面に直面する機会が学生の頃より多くなります。
父がいなくなってからは、意思決定の度によくよく自分で考えるようになりました。幼いころから父は仕事ばかりで、世界中を飛び回っていたこともあり、あまり話をする時間がほかの家族と比べても少なかったのですが、それでも、父に相談するなど意思決定の部分で頼っていた自分がいたので。時々、心の中にいる父に相談したりもしていますね。
― お父様の存在が大きかったんですね。ここから数年、具体的な目標はありますか。
世界トップティアに属する資産運用者になれるよう、日々仕事・研究に精進すること、でしょうか。また、日本のクオンツ業界を盛り上げていきたい。欧米と比較すると日本は遅れているなと思うところもあれば、ここは日本ならではの良いところだなと思うところもあり、一概に比較することは難しいです。ただ、残念に思っていることの一つに、日本から海外のヘッジファンド・資産運用会社へは投資を行う一方で逆方向は少ないことを挙げておきます。僕は“海外から日本へ“の流れを作りたいと考えています。
― どのように実現するのでしょうか。
これまで以上に産学連携の力を強めていくことが必要条件の一つであると思っています。つまり、実務家とアカデミアが密に連携することで、よりエッジの効いたモデルを開発することが可能になるということ。これなくして、”海外から日本へ“の流れを作ることは難しいと考えています。ただ、産学連携といってもうまくいかないケースをこれまで多く目にしてきました。それぞれが上手く意思疎通できなかった結果、出来上がったものはどこかちぐはぐ感があるようなもの。その橋渡しをすることも僕の役目だと思っています。実務も研究もしているからこそ分かることがあると思っていますし、より深みのある、競争力の高い成果物を生みだすことが出来ると考えています。
― なるほど。この他にも、やりたいことがまだまだありそうですね。
はい、山積しています(笑)。一人で出来ることは限られているので、目標を成し遂げられるチームを作っていくことも課題の一つですね。今、頭の中で構想していることを全部成し遂げたらForbesに載るんじゃないの?(笑)っていうくらい挑戦したいことがたくさんあります。
― Forbes、壮大な目標ですね(笑)
最近、同年代の友人の一人がForbesに載ったので、少し意識はしています(笑)。
— 最後に、学生にメッセージをお願いします。
とにかく勉強してください。学生の本分は勉強です。なぜ勉強するのか?意味があるのか?と疑問に感じている人もいるかもしれません。そう感じてしまう理由は、日本の教育にも問題があるかもしれません。社会で学問がどのように生きるかを、体系的に教えるカリキュラムを組んでいる大学が少ないような気もします。クオンツで、数学の知識が生きるように、実社会で学問は必ず生きます。アルバイトしないと生活が成り立たないという人もいると思いますが、勉強の大切さも忘れずに悔いのない時間を過ごしてください。
— 本日は貴重なお話をありがとうございました。
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