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OB/OGが語る

1年以内に、インドでペット関連事業立ち上げる。 -OB/OGインタビュー第1弾-

「大学を卒業して何をしよう」「将来の夢ってなんだろう」。そんな風に考えたことはありますか? 経団連会長の「就活ルール廃止」発言が最近話題になりましたが、就活をしようがしまいが「どのように生きていくか」は、誰しもが考えるべきテーマです。今回、キャンパス編集部は、ビズリーチキャンパスのイベントに登壇していただいた先輩たちの中から学生に好評だった方にインタビューを実施。「先輩はどのように生きてきたのか、どのように生きていくのか」を根掘り葉掘り聞いてみました。第1回目は、10月からインドに移住してインド法人を立ち上げる権(コン)さんにお話を聞きました。

<取材対象者> 権 五勲(コン オフン) 1992年生まれ(26歳) 2016年3月 早稲田大学 政治経済学部卒業 2016年4月に新卒でデロイト トーマツ コンサルティング合同会社に入社。2年間勤務後、株式会社KPMG FASに転職。2018年9月からは、ペット領域におけるあらゆる課題をインターネットの力で解決するベンチャー企業に入社。「グローバルNo.1のペット企業になり、世界中の動物の命をのばす」という企業ビジョンのもと、インド法人を立ち上げるため、10月からインドに移住する。

原稿作成日:2018年9月

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ずっと感じていた居心地の悪さ。日本に居続ける理由がなかった

――――今日は、宜しくお願いします。10月からインドで働くということですが、どんなことをするんですか? ※取材時は2018年8月

9月からペット領域における課題をITの力で解決するペット系のベンチャー企業に転職し、そのインド法人立ち上げのため、インドに行きます。 1年以内にインドでペット関連事業をスタートさせること以外は、特に何も決まっていません(笑)

――――すごいざっくりですね(笑)。それ以外は、何も決まってないんですか?

正確には、全部自分で決めていいと言われています。そもそもベンチャーの社長からの依頼は、「インド法人をつくってくれ」くらい。いつ、どこで、何を達成するかは全て任されているので、まずはペットの市場調査から始めました。 売り上げ目標、必要な資金、事業展開方針などを全て自分と2名の仲間で責任をもって推進していく必要があります。

――――もともと海外で挑戦したいという気持ちがあったんですか?

ずっとありましたね。生まれも育ちも日本ですが、ずっと外国人扱いを受けていたので日本に居続ける理由がなかったんですよ。

――――どういう意味でしょうか?

そもそも両親は二人とも韓国人で、国籍は韓国籍。 いじめを受けたことはないですが、帰属意識が持てなかったんです。

――――どんな子供時代だったんですか?

一般的な中流階級の家庭で育ちました。 東京・大田区で生まれて、区立の小学校に通い、中学からは私立に通いました。 小学校時代は、勉強がそこそこできて地元のサッカーチームで頑張ってという普通の小学生でした。 ただ、日本人ではない居心地の悪さはずっと感じてました。 当時、差別や国籍という言葉を知らなかったので概念としての理解はありませんが、ただなんとく気持ち悪い感覚です。日本に居続ける理由をあまり感じなかったというのが近いかもしれません。 印象的だったのは、小学校の英語の授業で誰も自分の名前を発音できないんです。 五勲をオフンと読めない。その時、「やっぱり読めないんだ。自分は外国人なんだ」って認識しました。

―――――それもあって私立を選ばれたんですか?

そういうわけではなく、単純に親の勧めです。 勉強も嫌いじゃなかったし、塾に通ってみて「まぁ、いいっか」と。 受験して入ったのは海城中学なんですが、最初開成を目指していたんです。 受験直前まで海城を開成だと思っていたんです。

――――マンガみたいな間違え方ですね(笑)

そうなんです。受験一覧をみると開成って海城の次のページにあるから、ずっと勘違いしてて。海城を開成だと思って第一志望と書いていたんですが、願書を書くときにその間違いに気づいて「ヤバいな」と。 調べたら開成ってものすごく難しいことがわかり、海城はそこまで偏差値は悪くない。で、開成に入るレベルにないことが判明したので、海城がそのまま第一志望になりました。

――――中学校は入学してみて、どうでしたか?

けっこう挫折を感じちゃいました。 今まで小学校でトップクラスの成績だったのに、同一レベルの集団に入ってみたら、急に下の層に落ちちゃって。そこから勉強にマジメに取り組まなくなりました。

――――ドラマやマンガによくある、落ちぶれてしまうやつですよね。

わかりやすく落ちぶれました。帰宅部でゲーセン通いをしてました。

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価値観を決めた、徴兵制

――――落ちぶれていたのに大学は早稲田大学ということですが。

高校に入ってからは、軽音楽部でバンドのギターにハマって、それこそ四六時中弾いてました。 ただ、進学校あるあるなんですが、高2の夏を超えると、とたんにみんな部活を辞めて受験モードに入るんです。学年全員がそうなるので、受験勉強をやらない方がおかしいという空気になる。

――――権さんも勉強を始めだしたんですか?

ちゃらんぽらんな学生を一から叩き直す塾に入って、それこそBe動詞から勉強し直しました。 そしたら、あれよあれよと成績が上がり、勉強好きに変身。 そのころには、いつか海外に挑戦するだろうと思っていたので早稲田の国際教養学部に入るつもりでした。 ただ、先に早稲田の政経が受かったので「まぁ、いいっか」ってことで政経に決めました。

――――大学時代は、どのように過ごしていたんですか?

大学時代は、バンドのサークル活動を熱心にやっていて、大学の価値観というかカルチャーがすごくフィットしてましたね。それこそ、外国人の留学生が大勢いて、帰国子女もいて、ありとあらゆる人種が混ざり合っている。 自分は特別じゃないんだ、みんな違っていいし、みんなはみんなという居心地の良さがすごく好きでした。 で、その後、徴兵で韓国に行ったんですよ。

――――確かに徴兵に行く必要がありますもんね。どんなことをしたんですか?

活動的には、38度線の警備兵でした。四六時中、あの38度線に立って前を監視するという。シフト制で一週間おきに寝る時間が変わっていく。それを2年間やったのでホントにつらかったです。

――――それは、すごいですね。

自分的には韓国人としての帰属意識が高まるかも、みたいな期待があったのですが、全くなくて。疎外感しかなかったです。これから一生、韓国で働くことはないですね(笑)  こいつらとは合わんな、という感じしかなかったです。

――――それは、またなぜ?

韓国で教育を受けて育った同世代の考え方はよく理解できましたが、カルチャーや価値観が全く違う。結局、自分は日本で育っているので本音と建て前的なところがありますが、彼らは全くない。よくそんなひどいこと言えるな、と思ってました(笑)。

――――それはそれでいい経験ですね。

そうなんです。自分勝手に色々考えすぎてたかな、と悟りました。他人からすれば、韓国籍かどうかなんて全く気にしてない。自分で変に意識しすぎていることがわかり、すごくいい経験でした。

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いましかできないことに挑戦する

――――徴兵のあとは、日本に戻ってきたのですか?

えぇ。大学3年の後半だったのでちょうど就活が始まる時期でした。 大学の同期たちは、すでに社会人になり働いていたので、まずは彼らに話しを聞くことに。 で、就活サイトのことを知り、選考が早かったこともありますが、外資系企業に興味を持ち始めて。

――――なぜ、外資系だったのですか?

偏見かもしれませんが、日系企業だと韓国籍は不利になりそうだし、自分がごまをすって偉くなっていくイメージがわかなくて。なので、軸として日系企業はすぐに外しました。 それよりも外資の実力主義でやる方がフィットしそうだな、と。 あとは、考えるのが好きだったので営業よりもコンサルが向いてそうだったのと軍隊で鍛えられていたので「頭を使う×体力」の軸で外銀・外コンを目指すことにしました。

――――では、ボスコンやマッキンゼーを指したのですか?

いや、ビック3と言われるマッキンゼー・アンド・カンパニー、ボストン・コンサルティング・グループ、ベイン・アンド・カンパニーは受けませんでした。脳みそが足りないなと思ったので(笑)。

――――開成のときもそうですが、判断と決断が早いですね。結局、入社したのは、デロイトですよね?

えぇ、デロイト トーマツ コンサルティングです。ただ入社して気づいたのですが、スキル軸と国籍軸で選んだので、自分がモチベーティブされることがあまりなかったんですよね。

――――どういうことですか?

不満という不満もないですが、淡々とこなしていく感じで、やりがいがなかったんです。 どういう人と働きたいとか、こんなことがしたいとかがないのは、つらいなと。 そこって結構大事だなと痛感しました。 で、最終的には、2年間働きました。

――――どんな転職活動だったのですか?

辞めようとしていたとき、ホントに精神がギリギリで毎日タクシーの中で「死ぬかも…」って思ってたのですぐに決心して、2週間後には、次の会社を決めてました。 転職したのは、M&Aなど様々なコンサルサービスを提供するKPMG FASです。 KPMGの知り合いから「うちのチームに空きがあるから、良かったら受けてみない?」と声を掛けられ、その次の日にKPMGのメンバーたちとランチして「うちの上司と面談してみない?」と言われて次の週には面接してました。

――――そこですぐに決めたのですか?

その日中に入社を決めたかったので「1日で全部終わらせてください」と伝えて、面接時には「今日内定出ますか? 今日もらえるなら、この足で今の会社を辞めてきます」と話したら、その意思はあると返事をもらえたので、そのまま退職届を出しました。

――――すごいスピード感ですね。

人間、切羽詰まったら何でもできます(笑)

――――転職したら、やりがいは生まれましたか?

非常に楽しかったですね。上司がすごく魅力的で、ザ・コンサルという感じでもらう金額以上の成果をきちんと返す人で、仕事への姿勢・スタンスがまさにプロフェッショナルなんですよ。 アプトプットに対するこだわりがハンパなかったですから。 仕事内容そのものも、デロイトは業務改善が基本だったんですが、KPMGはM&Aになるので大きな絵を描くことが基本になり、すごく楽しかったです。

――――2018年4月にKPMGに入社して、9月にはPECOに転職したとのことですが、楽しかったのになぜまた転職したのですか?

この歳でインドで法人を立ち上げるチャンスなんて、なかなかないなと思ったからです。 コンサルの仕事で新規事業を考えたりもしますけど、インドで富裕層向けのペット販売って、市場がないとこに市場をつくるようなものなので、それを自分が責任者としてやれるなんてチャンスでしかない。 社長と何度かご飯を一緒にして、決心しました。その誘いがなかったら、数年はKPMGにいたと思います。それだけ楽しかったですからね。 ただ、インド法人立ち上げの経験は、成功しようが失敗しようが得るものが大きいな、と。 仮に失敗しても失うものがないですから。社長に言ったら怒られそうですが(笑)

――――確かに経験として得難いものになりそうですね。

そうなんです。だから、いますごくワクワクしてます。1年以内にペット関連事業を立ち上げて、絶対成功させます。

――――インドでの成功を楽しみにしています。それでは最後に学生に向けてメッセージをお願いします。

就活相談とかで感じるのは、みんな、どこかに正解の企業があってそれを探さねばならないみたいになってる印象を受けます。どこかに相思相愛の企業があって、その軸を自分はまだ見つけられてない、みたいな。 でも、軸なんて無理やり自分で決めるしかないですよ。 どこの企業に行っても不満は生まれますから。 あるとすれば、入った企業を正解にするために努力するのか、不満があるなら、新しい軸を見つけてさっさと辞めればいいんです。 みんなに通じる絶対的な正解の軸なんて存在しないですからね。 そのときそのとき「あなたはどうしますか?」という問いに力強く答えられればいいのかなと。 不満たらたらで文句を言い続けて、行動しない人だけにはならないでください、が一番言いたいことですかね。

――――今日はインドに発つ前のお忙しい中、本当にありがとうございました。

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