<プロフィール>
R 男性
東京工業大学大学院 理系
就職予定先:伊藤忠商事株式会社
内定企業:総合商社など
参加したインターン:3社
OB/OG訪問人数:15名
ES提出社数:20社
面接社数:6社
内定社数:3社
バイリンガルからトリリンガルを目指して
――Rさんは中国語と日本語のバイリンガルでいらっしゃるとのことですが、そのあたりの背景からお伺いできますか?
私の両親はともに中国籍で、父は中国で単身赴任をしています。私は両親が日本に来てから生まれたので、学校教育はすべて日本で受けました。そういうわけで自然とバイリンガルになったのです。
――高校まではどんなタイプだったのですか?
自分で言うのも何ですが、人よりも頭の回転は速い方だったと思います。学級委員長を務めたこともあるので、周囲からはそれなりのリーダーシップも認めてもらっていたんでしょうね。一人でいるよりは友達と過ごす方が好きだったのですが、喧嘩っ早い一面もありました。良くも悪くもムードメーカーでしたね。勉強面では子どもの頃から一貫してブレずに理科と数学が好きだったので、東工大を選んだのも自然な成り行きでした。通っていた塾の先生のおかげで、ますます勉強が好きになったこともあり、単純に「自分も先生になりたいな」と考えたこともあったんですよ。
――趣味はどんなものをお持ちでしたか?
結構多趣味なんです。映画鑑賞、ソフトテニス、野球、旅行、コミック……数え上げればキリがありません。旅行であれば、「どこへ行くか」というよりも「誰と行くか」の方がより重要です。人が好きなんですよね。映画では、「マネーボール」という野球映画を観て、野球観が変わりました。「自分が今までやってきた野球は、野球じゃなかったんだ!」というほどの衝撃でしたね。
――大学時代には、英語圏へ留学もされたんですね?
学部2年生の時に短期で行ったのはオーストラリアです。これは語学研修が主な目的でした。3年生の時に3カ月間留学したのは、アメリカの理工系の大学でした。英語力をさらに磨きたいということのほかに、海外の大学や大学院はどういう仕組みになっていて、どういう研究設備があるのかを知りたいという目的もありました。また、日本語と中国語のバイリンガルであることが自分の強みの一つなので、そこへプラスして英語も堪能になれたらさらに活躍の場を広げられるのではないかとも考えていました。
部活の再建を通して得た学びを糧に
――大学では運動部の立て直しに力を尽くされたと伺いました。
ショックな出来事があったんです。部活の存続が危なくなるほどの事故が起きました。行き場を失った私たちは、危うくバラバラになりかけました。でも、「自分たちを育ててくれ、みんなで楽しんだうちの部が廃部になるのは嫌だ!」という一心で、今までのやり方を再考してみたんです。
――新入生の勧誘方法なども見直されたそうですね。
はい。それまではやみくもに声をかけるだけだったのですが、「このスポーツはどんなものか?」について丁寧に説明するところから始めました。以前は、せっかく入部してくれても「想像していたのと違う」とすぐに辞めてしまう人も多かったのですが、事前にしっかり説明することで、すぐ辞める人の割合は格段に減りましたね。「とにかく入部させよう」から「まず知ってもらおう」に方針を変えたのがよかったんだと思っています。
――そのときの経験が就活にも役立ったのですね。
そうですね。勧誘する側とされる側、両方の立場からしっかり考え、最善を目指して行動し、結果を出せたことは、後々就活に臨む上でも自信につながりました。交渉能力も必要でしたし、物事を簡単にはあきらめない粘り強さも身についたのかなと思います。
大学、大学院での学びを通じて気づいたもの
――大学院ではどんな研究をされていたんですか?
化学反応の研究をしていました。従来の化学反応の加熱方法を変えることで、加熱効率を上げたり省エネを実現したりするのが目的です。基礎研究的な側面もありますが、実用性を目指すという目的もある研究でした。ただ、私は「ものづくりがしたい」という理由で理系の大学に進んだわけではありませんでした。純粋に理数系が好きで得意だったんです。そういう意味では、研究生活は自分にとって「何か違うな」「しっくりこないな」という意識もありましたね。
メーカー志望から商社志望に変わったわけは? ~試行錯誤編~
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