#私の就活 では就活を終えた先輩たちが自分の就活を振り返った体験記をお届けします。第二回は春から総合商社へ入社した19卒の先輩です。
挑戦する事を良いとするカルチャー
私はもともと「挑戦」に対して憧れの感情を抱いていました。そのため意を決し行動し、挑戦によるリスクを肌で感じ、その結果として数々の失敗とほんの小さな成功を体験できるような「挑戦する事を良いとするカルチャー」のある環境で働きたいと思いました。肝は「挑戦」を良いとするではなく、「挑戦する事」を良いとしている点です。実際に挑戦させてくれる機会を数多く提供してくれているベンチャー企業も候補の一つとして考えていました。私の経験上、個人レベルでの挑戦はリスク管理も周囲への影響も(企業に比べれば)小さいですが、それでも失敗時のダメージは大きく、挑戦の難しさを肌で感じてきました。自分の身の回りレベルの問題でさえまだまだ改善の余地があり、小さな挑戦を重ねていく事も大事だと感じていました。その一方で将来成し遂げたい事の規模感を考えると、(これまで大きな事を成し遂げてきた企業から)今の私には無い視点を学び、同時に挑戦の質を上げていくことが私には必要だと感じました。大枠の段取り、不測の事態に備えた臨機応変な対応力、決して折れないマインドを「挑戦する事を良いとするカルチャー」のある環境に居る先輩方から感じ、学んで行きたいと思ったのです。
自分が何をやっていきたいのか、を突き詰める
就活時に呪文のように耳にする「自分のやりたいこと」を見出すため、就職希望先に合わせたストーリーを作るよりも前に自分の過去の体験とその時の感性について振り返り、“自分の心躍る瞬間”を突き詰めることが大事だと思います。例えば私自身の場合、大学の学部時代と大学院時代を学生コーチとして体育会女子ラクロス部に所属し、グラウンド中心の日々を送っていました。入学当初は小中高と続いた部活漬けの生活とやっとお別れできると思っていたにも関わらず、新歓期間を通じてすっかり体育会で頑張る気になっていたのです。当時は非常に選択を悩んでいましたが、最後は「この学校を去る時にどんな自分でありたいか」を想像し、その理想像に最も近づける経験が積めて挑戦ができる場所として決めた選択でした。他にも、通常のプログラムではなく前例のない留学を単独ですると決めた時、大学院への進学を決めた時、(中高時代にまで遡れば)部活禁止のクラスで初めて部活に入ると決めた時や主将としてチームの方針を180度変えると決めた時など、自分にとって大きな決断をする機会は何度かありました。そのような場面において、(自分を含めた)関係する様々なセクターにとっての各選択時のメリット・デメリットを洗い出し、時には体調を崩すまで根気を入れ熟考しました。そして最後は「どんな自分であっていたいか、その将来にワクワクするか、その方向性と選択肢が合っているかどうか」を確かめて決断していました。
例えば部活について振り返る時、部活を行っている時間は圧倒的に長いため思い出しやすい場面も多いと思います。部活内で起こった出来事で悩んだ際に、自分の中で共通の軸を持って決断していた事にも気づくと思います。しかし、その決断が部活内の出来事である以上、その他の決断の際に考慮する視点は無意識的に限定的なものになっているはずです。勿論、部活の問題を俯瞰的に捉えて全体像の中のどこに位置しているかを把握し、その他の問題における解決へと繋がる考察をしていた人もいると思います。しかし具体的な問題(ここでいう部活動で経験した問題)を抽象度の高い問題(今後の進路選択)へと応用する事は直線的に結びつき辛いと感じている人の方が多いのではないでしょうか。
真剣に取り組んだ経験を自分の中で何度も追う中で、決断時のある程度の型が見えてくると思います。そこだけで終わるのは勿体なく、違う分野や別の局面での決断方法について振り返り、そこで気付いた“物事を見る観点”を肉付けしていく、そうして様々な角度から自分の決断に影響を与える要素を絞り出していくことで納得のいく決断に至れるのではないかと思います。
自分の欠点が見える経験
少し具体的に私の学生時代に挑戦したことについて触れさせて下さい。
私が所属した京都大学体育会女子ラクロス部はこれまで留学へ行く部員はいませんでした。というのも、留学に行った部員はそのまま部活を離れるという選択を全員した過去があるからです。私は入部前に先輩方から留学が可能な部活であるか聞いた際、可能ではあるけれどもこの団体の中には留学から帰ってきた部員は一人もいない、と聞いていました。私の入部当初の目標は、専攻する理学療法の世界トップレベルの学術機関へ留学すること、そして自分にも時には仲間にも厳しく、向上心満ち溢れる女子ラクロス部の先輩方のような人物に成長し、生涯の仲間を得ることでした。入部して早速留学準備と部活での成長に向けて時間を割き始めたのですが、留学に対する部活内の反応は決して好意的なものではありませんでした。部活に熱が入っていくに連れ、学問だけに留まらせず部活での成長にも直接繋がるような留学にしたいと考えるようになりました。現地のコミュニティへコンタクトを取り、遂に日本よりもレベルの高い競技チームが留学希望先であることを突き止めました。競技チームへ熱意を込めたオファーを送り、許可がおりたことを部員に報告しました。その努力が認められたのか、部活内で私の留学に対する印象は少し変わってきた様に感じました。しかしベースの捉え方は変わることなく、留学決意表明をして以来、そして帰国してもしばらくの間そうしたバイアスを感じることとなりました。このような結果は、全て私の事前の準備不足であったと反省しました。実際私の行った準備としては、留学前の期間に留学期間参加できない分の練習を考慮し、同期の誰よりもグラウンドに通い人一倍の練習量を確保しました。しかしそれは自分のみが把握していた意図であり、当時はチームメイトの誰もその意図を知る人はいませんでした。留学計画に関しても、近くの先輩方には直接胸の内を早くから明かしていたのですが、大抵の部員には直接話をすることはなく結果的に間接的に留学の話は伝わることとなりました。集団において、前例のない事例が起こる時には多くの人はその背景に説得力がないと、なかなか納得がいかないものです。私の場合、先輩方の部活の差支えになってはいけないという不安から、留学に至る背景も全体の前で発表したのは出発近い頃であり、部員にとっては突発的な出来事で十分に納得する時間がなかったと思います。つまり、私の考える「部活にとって最善の伝え方と行動を含んだ留学」と、周囲の受けた印象はかけ離れてしまっていたのです。当時を振り返ると、前例のない事を成し遂げようと必死で考えて休む暇なく行動し続け、周囲からの視点、特に正反対の意見を持つ人々の視点を考慮する余裕がなかったのです。準備が至らなかったことを悔やんでいても時既に遅く、今後できることは留学後に如何に誠意的に部活に取り組み結果を出せるかという発想に切り替え、帰国後の当たりのきつい環境でもめげずに人一倍の努力を重ねました。何度も折れそうになった記憶が今でも鮮明に思い出されます。そんな当時の私のモチベーションは、留学を経験して部活にも貢献する前例を作ることで後輩達の可能性を広げる、という志でした。現在後輩達が留学と部活を両立する姿を見ると様々な想いを感じます。ただ、部活に所属しながら安直に留学に行く選択をする事は所属団体に対して誠意があるとは言い難く、熱意を持った留学である事は必須であるという点が伝わっていたのか疑問に感じることもあります。その点も私の反省であったと感じています。
こうした経験は、話し方によっては「前例のない所に道を切り拓いた」と格好良く修めることもできます。しかし、本当に知るべきは窮地に至った時にありありと見える自分の欠点だと思います。私の例でいうと、欠点として浮かび上がったことは対立立場の意見を考慮する余裕がなくなる、周囲が好意的に解釈してくれると思い自分の真意を伝えることを蔑ろにする傾向がある、といった点が挙げられます。
自分は何があれば頑張っていける人なのか、考える
これまでの文章を読んでいただいた方にはなんとなく伝わっているかと思いますが、私は理想を追い求めて挑戦することを好む傾向にあります。可能性がある限り信じて突き進んで行きたいと考えており、そして実際に行動まで移していく実行力が今の私の一番の武器ではないかと思っています。しかし、この性格は大きなリスクと常に表裏一体となっています。可能性がある限りと言いましたが、可能な部分が大きくないこと、つまり失敗する可能性が大きい点です。結果としての成功に至るまで、私にとっては過程のほとんど全ては失敗によって成り立っている、と言っても過言ではないと感じています。ただ、この失敗は一般的にイメージされる失敗の使い方とは少し違っていると思っています。改善点のないもの以外、つまり少しでも改善できる余地が残されている場合、私にとって失敗であったと反省することにしています。誤解なく表現すれば、“一部”失敗のある出来事になります。ただ、こうした部分的な失敗を厳しく突き詰めていく中で前回とは違う自分を見ることができ、同時に更なる変化を追い求めて次の目標を定めて意欲的に行動していくことができました。試験であったり、大会であったり、選抜であったり、他者から客観的評価を受ける目標地点で成果が出せた時でも自身はいつも成長段階であると感じていて、実際目標地点を通り過ぎた後でも意欲が消えず何かしらの形で継続していることもありました。こうした思考を持つと、自然と成長に貪欲で謙虚な姿勢は忘れることはありませんでした。しかし裏を返せば、威厳を持って立ち振る舞い周囲をまとめていくことがあまり出来ていなかったと反省をしています。
また可能性の小さい物事というのは、見方を変えれば多くの人は選択しないが故に可能性は小さいと表現されている、と考えられます。つまり多くの人からすれば、その背景に納得しないと常識外れの選択と捉えられて理解を示されず、時には和を乱す存在と評価されかねません。可能性の小さな挑戦を選択する際、私自身の葛藤に全力になるあまり、周囲からの客観的視点にまで考えが及ばず苦労した経験がありました。挑戦したい物事に取り組んでいる最中やその後も含め、周囲の環境から得られるエネルギーは大きなモチベーションとなると痛感し、事前の段取りについて現在も模索し続けています。この事は今後の課題として考え続ける一方で、可能性が残されている物事に挑戦できる環境がある限り希望を持ち頑張れる私は今、自分の将来に対して期待しています。
就活生の皆さんには是非、自分の内面に向き合ってほしいなと思います。私が最終的に就活本番の面接で話していた事のほとんどは、自分の欠点である側面や取ってきたリスクの話でした。人間は余裕のある時ほど良い子に振舞えるエネルギーがあります。裏を返せば自分の欠点が見える経験が出来た時というのは、余裕が無くなるほど何かに一生懸命に取り組んでいたり、追い込まれた経験をしたりしている証拠ではないかと思います。面接時には就活生のほとんどは良い子に振舞える中で、自分らしさを出していく為にも受けたい企業に合わせたありきたりのエピソードを作ることに奔走せず、自分の辞められない愛すべき内面に向き合い、自分にとっても気持ちの良い就職活動になることを1OGとして心から願っております。
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