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就活生が語る

「大手内定」「ミスター開成」最強の肩書きを持つ彼の知られざる苦悩とは―私の就活 vol.8

履歴書に並ぶ華やかな経歴、受けた企業は軒並み内定…。そんな就活生を、人は「就活強者」と呼びます。彼らがフォーカスされる機会は数多くあれど、どこか自分とは違う世界の話のように聞こえてしまう。そこで本連載では、あえて、ごく普通~の大学生の就活体験記を集めました。すると、「就活無双じゃなくても、就活した人の数だけ、大切なストーリーがある」 ということが見えてきました。一足先に就活を終えた先輩の、等身大のお話を聞いてみましょう。

「あの頃の自分」に別れを告げるための大学生活

――本日はどうぞよろしくお願いいたします!

張田谷さん:慶應義塾大学4年の張田谷魁人です。よろしくお願いします!

――早速ですが、まずは張田谷さんの学生生活について教えてください。

張田谷さん:一言で表すなら、「高校時代までの自分を変えようとした4年間」です。
僕、中高一貫校に通っていたんですけど、中高で1回ずつ部活を辞めてるんですよ。
最初はバスケ部に入っていたのですが、あまり顧問とそりが合わず、部活に行くたびに委縮してしまうのが嫌で辞めて。
そのあと、「何も部活入っていないのはなあ…」と思って、友達に誘われたハンド部に入ったんです。だけど、ハンド部は「入ること」がゴールになっていた部分があったので、モチベーションが持続せず…。「ハンドボールをやっている理由」も持たないまま、なあなあで続けていて、結局はこっちも途中で辞めました。
そういう「何も頑張り切れなかった自分」へのコンプレックスがすごく大きかったので、大学生活ではそんな自分から生まれ変わろう、と強く思っていました。

――具体的にはどんなことをしていたのですか?

張田谷さん:「自分を変えたい」なんて大口叩きましたが、最初は流されるようにテニスサ―クルに入りました。もともとはバレ―ボ―ルをやってみたかったんですけど、未経験の僕でも入れそうなところがあまりなくて断念して。どうしようかな~とフラフラしているときに、そのテニスサ―クルに猛アタックされたんです。(笑)
それから1年くらい経って、そのサ―クルの同期が活動に携わっていた、KINGというビジネスコンテストの運営団体に入りました。

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――なぜその団体に入ったのでしょう?

張田谷さん:テニスサ―クルは楽しいけれど、これをあと3年間続けていても学びは少ないだろうなという気持ちがあったからですかね。なんというか、結局何も変わってないじゃん自分、と思ってしまって。そういう自分への焦りもあって、何か新しい活動を探そうと思っていたときに、同期にKINGの話を聞いて、仲間に加わることを決めました。
あ―…なんか、今振り返ると僕って結構ご縁に恵まれているなあって思います。まあ、言い方を変えれば流されやすいってことなんですけど…(笑)

――ご縁、というと?

張田谷さん:KINGに入ったのもテニスサ―クルの同期とのご縁があったからだし、実は僕、KINGの同期のつながりで出会った方に誘っていただいて、採用広告を請け負うベンチャ―企業で長期インタ―ンもしていたんですよ。

――そうだったんですね!それはなぜ始めようと思ったのですか?

張田谷さん:自分が当時大学3年生でちょうど就活を意識するタイミングだったこともあり、「採用」や「就活」に興味があったからです…と言ってはみたものの、実際はほぼ直感で「面白そう!」と思ったからです。二つ返事でOKしました。(笑)

――実際に働いてみて、「やってよかった」と思ったことはありますか?

張田谷さん:それはもう、答えは一つで、一度目の就活が終わってから携わっていた企画を通して「自分の就活は間違っていたんじゃないか」と気づけたことですね。

違和感に目を背け続けた、初めての就活

――「一度目の就活」…?ということは、就職活動を複数回されているんですか?

張田谷さん:はい。僕、本当は18卒だったんです。だけど、わけあってもう一度就活をやり直して今に至ります。

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――それはびっくりです…。なぜそのような決断をしたのでしょうか?

張田谷さん:理由はいくつかありますが、一言で言えば「昔の自分に戻りたくなかったから」ですね。内定を頂いてから半年くらい悩みつづけた結果、「このまま就活を終えたら、僕はまた『何も頑張れない僕』になってしまう」と思って、辞退したんです。

――ということは、一度目の就職活動は、張田谷さんにとってあまり良くない結果だったのですか?

張田谷さん:う――ん、そういうわけでもないかなあ…。正直に言うと、名の知れた大きな会社から内定を頂けたという意味では、むしろ結果は良いほうだったと思います。ただ、僕にとっては、その会社に行くことが正しい選択ではなかったというだけです。

――なるほど…。では、「正しい選択」に至るまでの、一度目の就職活動についてお聞きしたいのですが、張田谷さんが初めて就活を意識し始めたのはいつ頃でしたか?

張田谷さん:3年生の夏かな。そのころは右も左も分からなかったし、志望業界とか軸とかも全くなかったので、とりあえず人気ありそうなインタ―ン応募しとくか、って感じで動いていました。超ミ―ハ―ですね。(笑)
それで、夏はスケジュ―ルの都合もあって1社だけ短期インタ―ンに参加することになりました。

――そのサマ―インタ―ンを経て、張田谷さん自身の就活に変化はありましたか?

張田谷さん:それが直接のきっかけというわけではないけれど、夏が過ぎるころには自分の中で興味の方向性が定まってきて、インフラ業界っていいな、と思うようになりました。
というのも、先ほども述べたように、僕がハンド部を辞めたのって「ハンドボ―ルをやっている理由」が無かったことが大きいんですよ。それに、KINGで活動していたときも「自分たちがこの活動をする意義」に疑問を感じて悩んだことがあって。
要するに、「その活動の意義」に心から共感できていなければ僕は物事を続けていけない、と気づいたんです。
インフラ系の仕事って、代替が利かないし社会的な意義がブレないので、そういう意味で僕にピッタリなんじゃないかなと思って、それに気づいてからは、インフラ業界を見ていくようになりました。
インフラだけに絞るのはちょっと怖かったので、損保なんかも見ていましたけど…(笑)

――インフラと損保って、いまいち結びつかないのですが…何か共通点があるのですか?

張田谷さん:共通点ではないけど、損保は「インフラのインフラ」的な側面があるんですよ。
どういうことかというと、規模の大きいインフラが安定して運営できるように支えているのが損害保険会社で、そこに社会的意義があるんだよ、ということです。
そんなこんなで、「ここに行きたいな」という会社を何社か見つけたので、その会社に行けるように努力はしたのですが、結局落ちてしまった会社も多かったですね…。

――そうだったんですか。こんなことを聞くのは失礼かもしれませんが…なぜ落ちてしまったのだと思いますか?

張田谷さん:事業内容にばかり目がいって、その会社で働くいち個人になることについての考えが足りていなかったのが一番の理由ですかね…。同じ会社の中でも、ポジションや業務は様々なのに、全てを一緒くたにしていたな、と。

――なるほど…。では、その後の選考ではそこを意識して変えていったのですか?

張田谷さん:そうですね。それに気づいてからは、個人の視点をちゃんと考えるようになりました。だけどその分、会社に合わせにいくことが多くなったというか…。

――会社に合わせにいく、とはどういうことでしょう?

張田谷さん:会社のことを分析した結果に自分を都合よく当てはめていく、って感じですかね…。今振り返ると、「会社ありきの自分」になっていたなと思います。
例えば、損害保険会社の仕事には大きく分けて「営業」と「損害サ―ビス(※)」の二つがあって、僕は後者に携わりたいと思っていたので、面接では「損保は『インフラのインフラ』ではあるけれど、インフラとの最大の違いは『業務として顧客一人ひとりに向き合えること』で、自分はそこに魅力を感じた」みたいなことを話していたんです。
結果的に、その会社からは内定を頂くことができました。
(※)損害サ―ビス:クライアントの事故対応から解決までを担う業務。

――内定をもらったとき、どういう気持ちでしたか?

張田谷さん:率直に、安心しました。僕にはもったいないくらい良い会社だったし、「僕はきっとこの会社に行くんだろうな」と考えていました。

再び顔を出した「あの頃の自分」

――でも、結果的にはその会社とお別れした、と。

張田谷さん:はい。最初の方で述べたように、きっかけはベンチャ―企業での長期インタ―ンでした。

――どういう経緯があったのですか?

張田谷さん:そのインタ―ンで、色々な業界の内定者にインタビュ―する企画を担当していたのですが…。その企画に協力してくれたある企業の内定者に、「なぜその会社を選んだの?」と聞いたとき、返ってきたのが「言葉にきちんと想いが乗った、本気の答え」だったんです。しかもその人は、働くことを楽しみにしていました。
もう、彼は何もかも僕と真逆でした。僕は、自分がその会社で何を目標にして働くのかを、自分の言葉で明確に語ることなんてできなかったし、働くことが楽しみだとも思っていなかった
…彼との出会いは、あまりにも衝撃的でした。

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――なぜ張田谷さんは、その方のようになれなかったのだと思いますか?

張田谷さん:きっと、仕事を通じて成し遂げたいことやなりたい姿がはっきりしないまま、決断を下そうとしていたからだと思います。
だけど、彼の話を聞いているうちに、「本当にこれが自分の望んだ未来なのか?自分は適当に決めすぎたんじゃないか?」と、どんどんもやもやが大きくなっていって。
内定をもらった直後は、自分なりに考えていい結論を出せたと思っていたけど、それって結局は「考えたつもり」になっていただけなんだ、と気づかされました。
そこからは、このままその会社に行くか、内定を辞退するか、自分の進退を考える日々が続きました。

――なるほど…。だけど、張田谷さんの内定先って、言ってしまえば超がつくほどの人気企業じゃないですか。それを手放すなんて、生半可な気持ちではできないことだと思うんです。それでも手放すことができたのは、なぜなんでしょう?

張田谷さん:そうは言っても、スッと手放せた訳ではないですよ。(笑)やっぱり、自ら茨の道に突っ込んでいくのは怖いですし。だから、半年くらいはその会社でもやっていける理由を何とかして見つけようと必死こいてました。
そのために何をしていたかというと、同じ会社の内定者に「なんでこの会社にしたの?」と聞きまくって納得できる答えを引き出す、とかですね。でも、自分にとって共感できる答えを見つけることはできなくて

――ご自身の納得度を高める結果には繋がらなかった、と。

張田谷さん:そうですね。
あとは、先ほども言ったように、ここに行ったら昔の自分に戻ってしまうんじゃないか、という恐怖も理由にありました。
というのも、インタビュイ―の彼と話しているうちに「入社がゴ―ルになっている自分」に気づかされて、これじゃハンド部に入って満足していたあの頃と同じだ、と思ったんです。

――「入社してからどうしたいか・どうなりたいか」がはっきりしていなかったからですね。

張田谷さん:はい。それに、僕の内定先は大きくて安定した会社なので、そこでの仕事をこなしてさえいれば生きていくことはできるけど、僕にとって「本気で頑張らなければいけない環境」や「そのしんどさに耐え得る理由」は、それほど無くて
中には、しんどいことを回避して穏やかな人生を送りたいという人もいるだろうし、それは別に全く悪いことじゃないと思います。でも、僕がそういう人生を送ることは、自分のことが嫌いだったころの自分に逆戻りすることを意味していた。

もしここでこの会社を選んだら、またいつか「僕の人生って何なんだろう」と、悩み苦しむ日々がくる。

今やるのか
一生やらないのか

自分に問いかけた結果、僕は、前者を選びました。

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――すごい勇気です…。

張田谷さん:まあ、爆泣きしながら内定辞退したんですけどね。(笑)
そんな感じで、もう一度就活を頑張ろうと決意しました。

失敗を経て見つけた新たな可能性

――二年目の就活は、一年目と比較してどう変化しましたか?

張田谷さん:そうだなあ…。ちゃんとベンチャ―企業を見始めたことと、教育まわりの仕事に興味が出てきたことは、かなり大きな変化かなと思います。

――そもそもなぜ一年目はベンチャ―企業をあまり見ていなかったのでしょう?

張田谷さん:僕の中で、ベンチャ―=成長欲求の強い人が行くところ、というイメ―ジがあったからです。
会社って自分が成長するための場所じゃなくて、社会に価値を提供するための場所だと思うんです。だから、「お金もらってる上に自分も成長したいなんて欲深すぎない?会社は与えてもらう場所じゃないでしょ」って思っていました。(笑)
だけど、二度目の就活を始めるタイミングで色んな人の話を聞いていくうちに、「成長第一!」って感じじゃないベンチャ―もあることが分かってきて。なんならむしろ、ベンチャ―の方が、会社の掲げるビジョンに共感した人が集まるので、当事者意識を持ちながら仕事をできそうだな、って思ったんです。それで、考えを改めました。

――なるほど。そういった思考の変化の中で、どうして教育に興味が出てきたのですか?

張田谷さん:よくよく自分の行動を振り返ると、無意識のうちに教育に近いことをやってきたことに気づいたんです。
たとえば、KINGで参加者がビジネスコンテストを通じて変わってゆく姿を目の当たりにして、「人は何かきっかけさえあればいくらでも未来を拓ける」と感じたこととか。「きっかけ」や「可能性」を与えることこそ、「教育」の本質だと僕は思います。

あとは、塾講師のアルバイトを通じて、僕の指導に触れるうちに本気で勉強に取り組んでくれるようになった生徒がいた経験も、自分の中で活きているなと感じています。勉強も、ある種「将来の可能性」を切り拓くための手段ですしね。

そう考えるようになってからは、「教育という、人に可能性を与える仕事」に惹かれていきました。

――インフラや損保とは程遠いところに着地しましたね。

張田谷さん:本当ですね。(笑)
教育に興味が出てきてからは、幼児教育やキャリア教育など、色々な教育の現場の様子を、自分の目や耳で確かめていきました。その中で、僕が最も当事者意識を持てる、キャリア教育に携わることに決めたんです。
というのも、学生がキャリアについてめちゃくちゃ悩むのって、ひとえにキャリア観醸成のための教育が不足しているからだと思うんですよ。僕自身もそれで苦しめられたし、きっとこれから先も苦しめられる人は絶えないと思います。僕たちの未来には無数の可能性が広がっているのに、それを吟味する機会も、語り合う機会も、あまりにも少なすぎる。
僕は、そんな世界を変えたいと思ったんです。

――一年の時を経て、ようやく目標が見つかったんですね。ちなみに、「今の」内定先はどんな会社なのですか?

張田谷さん:端的に言うと、人の可能性を正しく引き出し、ゆくゆくは日本の経済を良くしていこう、というミッションを掲げている会社です。僕はそのミッションと、社会的意義の大きさに惹かれました。もともとは、その会社が運営しているサ―ビスのいちユ―ザ―だったのですが、これも「ご縁」のおかげで、選考を受けることになったんです。

――いいご縁でしたね。ところで、先ほど「会社に合わせにいってしまった」というお話が出てきましたが、二年目の選考はどんな感じだったのでしょう?

張田谷さん:あのときの反省を踏まえて、包み隠さず全て正直に話しました。
大手を受けていたときは、印象が悪くなるだろうなと思って部活を辞めたことは伏せていたのですが、その経験って間違いなく今の僕が形作られた理由として重要なものじゃないですか。そこを隠してしまったら、僕という人間は相手に伝わらない。だから、良いことも良くないことも全てさらけ出して、「それでも君がいいんだ」と言ってくれる会社に行こう、と思っていました。
それに加えて、「なぜその会社なのか」という理由もしっかり喋れるようになっていたので、2年目の就活は割ととんとん拍子で進みました。これも、去年死ぬほど悩んだからこその結果ですね。
それで、最終的には3社の中から選ぶことになりました。

――その中から、今の内定先を選んだ決め手は何だったのでしょう?

張田谷さん会社が作りたい世界への共感度の高さと、そこで働く人たちの仕事に対する当事者意識の強さ、それから、自分をきちんと評価してくれそうな環境であること、ですかね。
去年の今頃の僕がこの決断を知ったら相当驚くと思うけど、今の僕にとってはこれがベストな選択です。あの頃の自分に「ね、あのとき思い切って良かったでしょ?」と胸を張って言えるように、僕は僕の作りたい未来を手繰り寄せていきます。

一面的な考えを捨てる勇気を持って

――ありがとうございます。では最後に、この記事を読んでくださった学生さんに、何かメッセ―ジをお願いします!

張田谷さん:僕は結果的に大手を蹴ってベンチャ―に行くことになりましたが、決してベンチャ―至上主義というわけではありません。大手には大手の、ベンチャ―にはベンチャ―の良さがあります。だけど、良いところしかない会社なんてものはどこにもなくて、どの会社にも悪いところは少なからず存在します。だから、悪い部分も理解した上で、「それでもその会社に行かなければいけない理由」を考えるべきです。
自分がもっている限定的な情報の中でなんとなく正しいと思っている方に流されず、多面的に考えて納得のいく結論を出してほしいなと思います。

――貴重なお話ありがとうございました!

取材:中野はな・輪湖春香
編集:中野はな

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